テレビの生みの親 高柳健次郎

Поделиться
HTML-код
  • Опубликовано: 12 сен 2024
  • テレビの生みの親 高柳健次郎
    関連ページ
    工業・産業 | その他
    作品概要
    1965年 白黒 17分
    この作品は世界で初めてブラウン管上で「イ」の文字の映像を見た、高柳健次郎物語である。
    高柳健次郎(1899 - 1990)
    1926年12月25日、世界で初めてブラウン管に映像を流すことに成功し、後にブラウン管テレビを完成。その偉大な功績から「テレビの父」とよばれた。ブラウン管を用いて最初に送受信された画像は「イ」の文字であったという。
    戦争の苛烈化もあり、テレビの研究も中断させられていた期間もあったが、1946年に日本ビクターに入社、NHK、シャープ、東芝と共同でテレビ放送技術とテレビ受像機を完成させた。後に日本ビクターの副社長、技術最高顧問を務めた。

Комментарии • 33

  • @377cy
    @377cy 2 года назад +3

    「イの字」で有名な高柳先生ですが、御子息と一緒に既にVTRの研究を始められていたとは、この動画で初めて知りました。
    やっとテレビ放送が始まるくらいの時期に一般家庭に大画面テレビをとか、更にはVTRの開発とか、現状に満足せず常に一歩二歩先を見据えて研究をされていたんですね。
    凄い方です。

  • @user-bq1ui4kx5h
    @user-bq1ui4kx5h 7 месяцев назад +1

    これまで研究成果しか知らずにいたのですが、高柳健次郎の持論や考え方には心底同意できます

  • @aaya4563
    @aaya4563 2 года назад +3

    浜松出身です、静大で研究されていた先生がとても誇らしいです。

  • @igucciable
    @igucciable 5 лет назад +20

    歴史を語るこのビデオ自体が歴史的になるとは…

  • @user-ll2wt7rz3k
    @user-ll2wt7rz3k 4 года назад +6

    イの字は愛宕山のNHK放送博物館に展示再現されてます。これが成功したのが昭和最初の日だったので昭和の発明品でしたがモノクロからカラーへ音声多重放送や衛星放送が発明され平成になるとBSCSやアナログからデジタルに4K8Kと技術革新がありました。NHK浜松支局の玄関前に送信電波塔と石碑がありますが戦争で10年間開発を中断し1953年2月1日にテレビ放送開始させました。

  • @ricardosuarez8023
    @ricardosuarez8023 3 года назад +2

    情報をありがとうNPO。
    高柳健次郎さんを知りませんでした。
    これは重要。
    日本語が話せなくてごめんなさい。
    ありがとうございました。

  • @kanapu1982
    @kanapu1982 4 года назад +10

    プロジェクトX「窓際族が世界規格を作った」の高柳さんのシーンはこの作品から引用したんですね…

  • @gaiatosi
    @gaiatosi 5 лет назад +17

    世界初を作ったが、結果が付いてこない所が多いんだよねぇ・・・。
    なんでだろ。
    液晶テレビ(シャープ)もDVDレコーダー(パイオニア)も有機ELテレビ(ソニー)も日本が最初に民生化したのにね。

    • @df-zd8vm
      @df-zd8vm 3 года назад +3

      軍事大国だった戦国時代は情報や技術の重要性を理解していたが、江戸時代の平和ボケで明治時代以降は情報(この場合は技術情報)の保護・囲い込みに疎くなった。ムラ社会で、人がイイ民族性も仇になってる。

  • @rchiproportion
    @rchiproportion 2 года назад +2

    ⭐️

  • @6op6hi5k
    @6op6hi5k 5 лет назад +11

    テレビって日本人が最初に作ったんですね!知らなかったです👀凄い!

    • @rzx2000
      @rzx2000 4 года назад +6

      そのテレビの電波を受信するアンテナを作ったのも日本人
      八木アンテナは無線技術を飛躍的に向上させて原理自体はまだ使われてる

  • @kumanishiwest
    @kumanishiwest 5 лет назад +19

    日本ビクターは、
    この映画制作の11年後に、
    世界的家庭用ビデオ規格となる、VHSを開発する。
    日本ビクターは、
    現在のJVCケンウッドである。

    • @MrREX893
      @MrREX893 5 лет назад +5

      映像の記録媒体がレーザーディスクになり、DVDになり、ブルーレイになる。
      技術の進歩はすごいよね。

  • @user-po3gu9ye3p
    @user-po3gu9ye3p 2 года назад +3

    この方が今のテレビ局を見たら何て言うのだろう

  • @user-hs9gh7bm3i
    @user-hs9gh7bm3i 4 года назад +5

    高柳さんの研究テレビ開発はとても素晴らしい事です ただ今のテレビは あまり好きになれません
    番組ソフトが良くないからです
    テレビがあっても地上波のチャンネルは数少い テレビを発展させるには 新しいテレビ局が必要

    • @jpnhosh
      @jpnhosh 3 года назад +1

      その為に地デジ化したのに、テレビ局自体全然増えていない。既得権益を守る為に既存局が猛烈に反対しているのだろう。

  • @100uc7
    @100uc7 4 года назад +5

    雲母板に書かれた「イ」の字をブラウン管に映し出した、と言うことは世界初のモノスコープを作ったのも高柳博士ということかな?

  • @user-jw2np2rz2x
    @user-jw2np2rz2x 3 года назад +7

    ブラウン管と八木アンテナを日本人が開発してて何でまともなレーダ作れなかったかな?って思う

    • @user-jw2np2rz2x
      @user-jw2np2rz2x 5 месяцев назад +2

      も一つ言うとレーダ波に使われるマグネトロンを実用化レベルにまで改良したのも日本人
      本当になんでちゃんとしたレーダが間に合わなかったのかが悔やまれる

  • @aaya4563
    @aaya4563 2 года назад +1

    イの石碑は静大浜松の中に今もあります。

  • @user-id9cu8ln8i
    @user-id9cu8ln8i 3 месяца назад

    こんな努力家居るんだな😮

  • @松本悠佐
    @松本悠佐 2 года назад

    プロジェクトX VHSを思い出しますね。

  • @hyu954
    @hyu954 5 лет назад +8

  • @高正m9u
    @高正m9u 9 месяцев назад

    日本のエジソン

  • @user-oo1xl7tt7f
    @user-oo1xl7tt7f Год назад

    戦争さえなければ・・・。

  • @user-gs1xs9jm7s
    @user-gs1xs9jm7s 3 года назад +1

    軍部が戦後復興の為、工学系技術者を温存していたことがせめてもの救いだった。
    白人の作ったノーベル賞でも、多くの有色人種の日本人が受賞している。
    差別が無ければもっと、多くの日本人が受賞していたでしょう。
    (例;北里柴三郎、寺田虎彦、野口英世等。。。)
    中華・小中華に無い、長年に亘り育まれた高度な文明と結文化、教育制度、物つくり(徒弟制度)、勤勉な国民性等、日本の知的レベルは西洋以上に高かった。
    明治初期に来日した多くの欧米人が、そのことに驚いている。また、「欧米の制度を取り入れれば、日本はすぐに一流国家に成る」と、予言していた。その通りになりました。
    先人の功績に、感謝いたします。

  • @kenshiba3581
    @kenshiba3581 3 года назад

    「白黒」とありますが、フィルムの退色が進んでいるだけでカラー作品ではないのでしょうか?

  • @motasan4646
    @motasan4646 2 года назад

    イロハのイって、人偏(にんべん)ですね。

    • @prc148mbitr
      @prc148mbitr 2 года назад

      海外のテレビ実験では「A」でやっていたので日本ではイロハの「イ」だよねってことらしい。因みに「イ」の字を最初に出したの丁度大正時代が終わった日らしいです。

  • @oll7lqq5
    @oll7lqq5 2 года назад +1